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住職のライフヒストリー
~私が坊主になったワケ〜
赤の時代(〜43歳) 求道精進期
信行道場訓育主任、小川原潮栄僧正、道場生80名中一番最初に訓育
主任の色紙「一心欲見仏 不自惜身命」を頂戴する。8班中の班長同志
がじゃんけんをして、3班の綿引恵一師が勝ち、3班の中で私と斎藤中建
師が残り、最後に私が勝ったのだ。
訓育副主任、田辺寿昭師「行は荒く、心は丸く」
小泉妙香法尼「宏有さん、忍の一字よ」
身延山大荒行堂初行、正中山大荒行堂再・参行と、正伝師、久村諦道
猊下の指導を受ける。「ロイとはクリエイトである」「不自由を忍ぶを行と言う」
「北条時宗は、胆瓶の如し、と言われた」
布教院院長、塩田義朗僧正から「無我」の色紙を頂く。
「道岡君、あんたも私もお祖師様の前に行ったら同じなんだ。みんな同じ
お祖師様のお弟子なんだ」
布教師養成講座主任講師、石川泰道僧正、
「お念仏ではどうして成仏出来ないか」
お説教の仕方を学んだ。高座説教より平座、平座よりも座談。話して
聞かせるよりも、話をよく聞き取る説教師になりたいと思った。後に説
教師として何を主題に講演すべきか考えるようになり、「感謝の精神
と布施の実践」を説くことにした。
中山法華経寺、金杉円珠寺、鎌倉長勝寺という天下に名だたる祈祷
寺で遍歴修行した。中山では遠藤日基師、鎌倉では久村諦道師の薫
陶を受ける。殊に、久村師は、荒行堂の正伝師として訓育を受け強く
感化された。遠藤師は、師僧渡辺貞観師の師であり、その遠藤師から
祈祷数学を大成するように申し渡された。
浅学非才を顧みず、日蓮宗祈祷の西洋精神医学による裏づけを求めて
いる。
「大黒秘伝抄」 編著 昭和55年
大菩薩会結成 安心葬儀運動 昭和56年 35歳
現代辻説法鎌倉南無の会 心運動を展開 昭和57年 37歳
秋田市玄妙寺法難 昭和64年 42歳
「新しい法華経のみかた」を鎌倉新書から出版 平成2年 43歳
「法華経者のすがた」では、法華経者のお手本として日蓮上人が大事
にされたお釈迦様の前世として描かれた常不軽菩薩、未来仏としての
弥勒さんへの橋渡し約の地涌の四菩薩、その中で、上行菩薩の応現と
いう自覚をされたのである。このモデルになっているのがお地蔵さんであ
るから、日蓮上人の宗教を「地蔵意識の法華佛教」と考え、弥勒を意識
してその前世として描かれた求名菩薩のあり方も受け入れた「弥勒意識
の法華佛教」を提唱している。
宗教には、教祖からの影響を受けた青年期の宗教としてのキリスト教と、
実年期のユダヤ教やイスラム教、そして熟年期の佛教がある。
法華経にこういう段階を当てはめ、更にインドの方が青年期の愛欲、実年
期の財利、熟年期の解脱と、年代による人生の目的を掲げているので、
これに法華経を当てて考え、青年期の法華経には愛欲を昇華した、人間
が本来持ち合わせた清浄な命の賛嘆があり、実年期の法華経には財利
を浄化した善行が表現されている。それが常不軽菩薩であり、求名菩薩
である。そして、この2つを二つながらに実践するところに法華経者のある
べきすがたが求められる。
そしてそれは、「欲張りで怠け者、その上馬鹿だけれど、み仏を敬い人を
信ずるという一念は誰にも負けない。貧しい者、不幸な者の味方になり、
親身なって世話をする。そういう人に私はなりたい」ということだ。
「法華経のねらい」では、一口に法華思想と呼ばれるいろんな考え方を、
つまり一乗思想、開会思想、空思想、方便思想、速疾成仏、即身成仏、
久遠思想、自由思想、菩薩思想、願生思想などを、大きく3通りに分類し
て、一乗とか開会をハイブリッド、或いは取り込みといい、空と方便と速疾
成仏、それに即身成仏、久遠思想などをバランスの思想と見て、自由、菩
薩、願生思想を人間開放とかぶち壊しの思想と見た。
一乗思想でハイブリッドを考えた。
東大の名誉教授、平川彰先生が個人的一乗としての小善成仏をとらえ、
社会的一乗としては、声聞、縁覚、菩薩と仏の関連を説いている。
私は、もう一つ法華経は世界的というか、精神原理の上での一乗説いて
いると見ている。
これを、こういう見方を、私は「転法華三法」と呼んでいる。
世界の歴史は、識者によれば、狩猟採集社会から農耕に移行するのに、
この間、数百万年、農耕社会から商工業社会への移行、この間、数千年、
商工業社会から情報社会への移行、この間、数百年と移行転換していると
いう。それぞれの社会が、それぞれの精神原理で動いてきた。それは、騎
馬型原理とか、農耕型原理、或いは、商工型原理と言える。騎馬型を舎利
弗が代表し、農耕型原理を釈尊が代表している。さらには、商工型原理を
優波離を登場させないことによって表現した。そしてこのような精神原理が
融合していくところに一乗を見たと言える、と考えたのである。
「弥勒の法華経」では、付属の系譜を見た。過去仏、現在仏、つなぎ役、そ
して未来仏。過去七仏と伝えられるが、法華経では多宝如来となる。現在
仏は釈尊。この釈尊の前世として描かれているのが常不軽菩薩。つなぎ役
はマカカショー、ラーフラ、クンダダーナ、ピンズーラで、伝説上では地蔵菩薩さ
ん、法華経では上行、無辺行、浄行、安立行菩薩さんとなる。未来仏は弥勒
で、求名菩薩としてその前世が描かれている。日蓮上人は、上行菩薩の応
現としての自覚をされている。これは、地蔵意識の法華佛教と言える。
お地蔵さんは、お釈迦様から預かった金襴の袈裟を弥勒さんに渡さない限り
成仏できない事になっている。お釈迦様の教えを未来に手渡さなければダメ
なのだ。つまり、弥勒さんが現れなければいけない。弥勒意識の法華佛教が
現れてはじめて、日蓮上人のお役目が終わるわけなのである。
そういう意味で、弥勒意識の法華佛教を提唱するわけである。これは日蓮上
人への御恩返しなのだ。
日蓮上人の宗教を「闘争の宗教」とか、「厳愛の宗教」と規定する人がいる。
その特徴をとらえてのことだと思う。弥勒意識の法華佛教は、闘争を意識した
「平和の宗教」であり、厳愛をこえて手放しで人を愛する「友愛・博愛の宗教」
を言う。別の言葉で言うと、「感謝と報恩の宗教」というか、哲学が育ってこな
ければならない。
「法華経でなければ世の中は救われない」では、佛教教団史を下敷きに描か
れた法華経とその成立史を、世界の歴史の法則に引き当て、人類が狩猟採
集、農耕商工、情報社会とその生産活動を通して育ててきた社会と、その社
会がもたらした精神原理、知と愛、平等、自由、調和を加上して歴史を展開し
てきたことを示した。
法華経は見事にその精神原理展開の過程を描いており、その意味での真実
を生きることの中に救われることを示唆している。
