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住職のライフヒストリー
~私が坊主になったワケ〜
青の時代(〜23歳) 僧風教育期
これからの世の中を救う教え、法華経を自分のものにしようと、寺社会に
飛び込む決意をする。
中原塗装の社長、兼坂達郎氏に、出家したい、と言うと、兼坂氏の奥さん
の父親、大沢秀夫氏が、妙光寺の世話人をやっているということで、住職
に引き合わせていただいた。
川崎市小向妙光寺、吉田顕静上人に弟子入り、僧風教育を受ける。小僧
三原則を言い渡される。「言い訳をするな」、「泣き言を言うな」、「立つより
返事」、そして「使いっ走り」「お使いは走って行ってこい」
「形は小さくても腹の太い男になれ」、「生き物を大事に出来ない者は坊主
にはなるな」
最期の言葉、「お前を坊主にしたけど、お前が学んだ佛教とはなんだ。一言
で言え」
「慈悲っきゃないだろ、慈悲っきゃ」
紀野一義先生、池上本門寺朗峯会館で、「もう1度来い、話してやる」
中山法華経寺で、「私も髭を生やしていたことがあったよ」
鎌倉の大仏高徳院で、「よくきましたね」
先生の法華経の読み方に惹かれる。
浅井円道先生は、「卒業してからも勉強して下さい」と言って、遠藤周作先生
の「沈黙」と、井上靖氏の「月のしづく」を読むようにすすめてくれた。
これが実は、私が遠藤周作先生にのめり込むきっかけだったのだ。
野村耀昌先生「赤い三角の小石」の話、勝呂信静先生の「布教に頑張って下
さい」等の言葉や話にも感銘を受けた。
中山法華経寺に随身し、増田日遠猊下から名誉管長賞をいただいた「忙中有
閑」、武井日進猊下の色紙「忍源百勇」、遠藤日基上人の「道岡、箒を持って
行け」に影響を受ける。
この時期、田村真淳法尼の「お祖師様に御縁をいただいてるんですよ」、久村
諦道上人に随身する。
法華経寺の役僧、松戸市秋山慶国寺住職、渡辺貞観師に就いて得度。
「日本一の説教師になんなさい。なっていいんだよ、誰もあんたはなっちゃいけ
ないって言う人はいないんだから」
慶国寺に「玄談説妙」の扁額がある。先代住職の為に書かれたものだという。
高座説教とか、大勢の人を前にして講演すると言うのがお説教ではない。先代
住職は座談の名手だったという。
奥の院の先代住職東日教師に師僧が訊いた。「行とはなんですか?」
「行とは徳を積むことである」と答えられたそうである。
立正大学卒業。
紀野一義先生の通佛教の立場、或いは、印度学法華経の立場からの法華経
解釈と、旧来の日蓮宗の伝統的解釈の違いの中で、どちらをどう受け取ること
が救われることにつながるのか、迷い悩むことが続く。
この頃から、ぼんやりではあるが2つながらの接点を求めた、自分なりの法華経
受容のあり方を探求していく。
法華経を、燃え上がるような情熱をもって布教伝導する裏付けを、どこに求めたら
よいのか。法華経でなければ救われないとホントに言えるのか、悩む。
日蓮上人のホントの弟子として「法華至上主義」に生きることを決意する。
