Free Web Hosting Provider - Web Hosting - E-commerce - High Speed Internet - Free Web Page
Search the Web

住職のライフヒストリー
~私が坊主になったワケ〜

黄色の時代(1〜18歳)修学期

小学1年の担任が、創価学会大幹部小泉氏夫人であった。
病弱な私を見舞いに来て、母に入信をすすめていた。

小学2年で学級図書「乃木希典」「嘉納治五郎」の伝記を読む。殊に
乃木希典では、希典が体が弱いから学問で身を立てたいと父希俊に
言うと、本当の学問は、健康でなければ出来ない、体を鍛えろと一喝
される。私は、子供ながらに体を鍛えなければならないと思った。

嘉納治五郎では、自分でも柔の術を会得すれば強くなれるかもしれな
いと思った。

小学5年の担任、阿部春雄先生の影響を受ける。理科の実験教育を
通して、借り物でない、物真似でない自分の考え方を持つ事の大切さ
を教えられる。

鹿児島の祖母、ハルのもとに預けられる。「魂の入らんこちゃすな」「議
を言うな」を口癖のように言う祖母だった。何をやるにも精魂込めてやれ、
能書き、理屈はいらない、行動する事が大事だ、と、言う事だ。

中学の夏冬春の休みにアルバイトをした塗装工場の社長、兼坂達郎
さんに出家をすすめられる。

中学の先輩、八百屋のブーチャンから、「これからの世の中は法華経でなければ
救われない」としきりに言われる。

中学の校長、鹿野孝一先生の指導で、ユネスコ加盟校として、毎年11
月をユネスコ月間と決め、世界の偉人にその生き方を学んだ。1年でシュ
ヴァイツァー、2年でガンジー、3年でアンリ・デュナンを勉強した。

1年のとき、シュバイツァーと一緒に、蟻の町のマリア、北原さと子女史
について映画を鑑賞したり、劇作家、松井桃楼先生の講演を聞いた。

鶴見の天台宗の寺、光明寺に養子にいって、そこから高校へ、という話
があった。
この頃、世界で2番目くらいに、アニメ制作を通しての美術指導を、相場
秀夫先生から受ける。

日本航空の整備士、1000人の受験者の中の30人が面接に残った。
働きながら高卒の資格が得られる、というのだが、機械いじりが苦手、と
いって落とされた。

高校時代の剣道の鈴木英雄先生に「剣道は自分に勝つことを学ぶんだ」
と、教えられた。
クラブ活動で剣道に熱中し過ぎて、剣道をやめて勉強するなら、家からの
登校を認めるが、さもなければ、家を出るように言われ、溝の口の職安に
相談して、横山乳業登戸支店に住み込みでアルバイトをする。

大事な友達ができた。吉川(旧姓土田)憲子さん、竹山勇二郎君。

神奈川県立新城高校を卒業。

私が中学とか高校を卒業しようとする、そういう転機が来ると、母から働いて欲しい
と言われた。貧困故にしかたのないことだったと思うが、そういう時に、純粋だった
母の愛情に、投機的なそれを、敏感にも感じてしまった。ずっと純粋な世界に生きて
いきたいと願うようになった。出家の動機としては、このことも強く作用していると思う。

NEXT 青の時代 僧風教育期